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無人戦闘機と戦争することを強いられるーアニメ86レビュー

KURO
2021/10/17

2021年10月から第二期が放映されているアニメ「86」。原作は、安里アサト氏のライトノベル作品です。
戦闘シーンや人間ドラマもさることながら、人種差別、戦争、テクノロジー格差、心的ストレスなど、社会に訴える内容も豊富に盛り込まれています。社会課題とテクノロジーという観点で、本作品を見て見ましょう。
ネタバレは、第一話の内容にとどめます。

本作品の設定

無人戦闘機を開発した隣国が周辺国に宣戦布告。しかし、無人戦闘機により自らの国も滅びてしまい、制御が効かなくなる。一方で主人公たちのいる国では、「無人戦闘機」という名の、実態では人種差別をして人権を剥奪した人間を戦闘機に載せて戦う。
主人公は2人いて、平和な遠隔地にいる「無人機」の司令官と、戦争の最前線で戦うことを余儀なくされた、人権が剥奪された「無人機」部隊のリーダーとなる人物です。

ここから、本作品設定で気になったいくつかのポイントをピックアップしてみます。

機械が人類の脅威になる未来

隣国の無人機『レギオン』は、自らの国が滅ぶ中、制御が効かなくなり、他国に攻撃し続けます。自律型兵器が人間の手を離れるといえば、映画ターミネーターを彷彿とさせられますね。こちらは、生活が便利になるためのシステムに、想定外の異常が起こり、生命活動すら脅かされる未来。しかし、本作ではやや観点が異なります。

自律システムが、社会を便利にするためのシステムなら、リスクを視野に入れて対策をとろうとするはずです。しかし、本作で出てくるのは他国を攻撃するための兵器。言ってしまえば、他国の中でずっと殺戮を繰り返していても、意図してそういう設計になる可能性もあるのです。

さらには、自らの国に害があったとしてもー
独裁国家で国のトップに害がなければよしとなる可能性も、あり得る話でしょう。

平和な遠隔地と悲惨な戦場

ベトナム戦争のころから悲惨な戦争を、平和に活きる人も、生活の中で見れるようになりました。
今はインターネットでも目撃することができます。

本作では、司令官のいる平和な街と、戦場の最前線が、対比して描かれています。おもしろいのは、まるで別世界のようなのに、1つの国の中での話なのです。

戦争とはいえ「壊れた機械」との戦いなので、少し戦争の形態が違うかもしれません。
現実には、第二次世界大戦以降の戦争では空中戦が取り入れられているので、徐々に「前線」という意味合いが薄くなりました。奇襲攻撃がかけやすいからですね。現代以降もその流れは続いて、突然街にミサイル攻撃の方が、今後の戦争のスタンダードになるでしょう。近年では、ドローンが兵器としては低価格で開発製造可能であることも知られています。

しかし、資金や資源に加え、それまでの経緯で地上戦になる可能性はあります。独裁体制でありながら合理的な選択をしなかったり、過去の戦争で技術が喪失した。あるいは資源が尽きているが、敵国の兵器が残存しているのでこれを使う、という方法です。現在のアフガニスタンがこれに近い状態です。

人種差別と格差

人種差別が格差を生むことはよくあり、むしろ管理系統を機能させるために、格差を作り出すために人種差別することもあります。本作の人種差別も、戦争の前線で戦う人と、平和な街で管理する人で分離しているので、この構図に近いと言えます。

アフリカのルワンダという国では、ベルギーが国を統治するために、見た目で勝手に人種を「作り出し」、分断を「引き起こさせた」という信じ難い事例があります。ツチ族とフツ族という、言語も宗教も同じ、見た目も違いはないはずなのに、身長が違うとかで分類し、少数派のツチ族を優遇しました。その結果、ツチ族とフツ族という、ありもしない人種同士で争うことになり、1994年のルワンダ大虐殺という、普通の人が殺戮者になるというとんでもない事件を引き起こしました。

このような状態で、遠隔地にいる人を支配していても、なかなか人事として流してしまうことがあります。ましてや、彼らは野蛮だ、知性が低い、本作のように遺伝的に劣っている、のようにメディアで喧伝されれば尚更です。事実でなかろうが、倫理的に誤っていようが、普通の人は流されています。

本作は、人種差別に立ち向かう若者を描いた作品

優遇を受ける側は罪の意識に、差別される側は辛い現実に、それぞれ直面していきます。生活環境からして全く違う両者の物語が、同時進行で描かれているので、差別がどのようなことをもたらしたかが明確に伝わってきます。
そんな厳しい人種差別を描いた作品の中でも、若い少年少女が、明るく、エネルギッシュに乗り越えようと奮闘している姿が、希望であり可能性なのです。

この記事を書いた人
KURO
エディター